離婚への歩み

2013年春から離婚調停を始め、2014年7月に当分別居という形で調停は終わりました。 このブログでは、これまでの軌跡を振り返りながら毎日更新する予定です。 古いものから読み進めていただくのが良いかと思いますので、 宜しくお願いしますm(__)m

2015年07月

MRI検査

2015/06/24

この日、先週の最終出社日から初めて髭を剃りました。

そして、この日は脳の検査を予約していました。
この期間中に気になっていた検査をしてしまおうと考えたからです。
僕は、今回のPCの事などについても
自分の脳に何か欠陥があるのではないかと
気になっていたからです。


前日に予約の電話をし、この日になりました。

問診で脳の検査を希望しました。

同日の夜7時からの検査になりました。
僕にとっての初めてのMRI検査となります。

近くのファミレスで時間をつぶし、
夜7時に再び同じクリニックに向かいました。

僕は初めてMRI装置に入り、
MR撮影を行いましたが、
なんであんな警告音がうるさく聞こえてくるんだろう
と思いました。

装置が動作する上で避けられない音なのだろうか?

今度、MRIのメンテナンスなどをしている友達に聞いてみようと思いました。

撮影後、画像診断結果は二日後になるとのことで、
予約して、帰路につきました。




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後輩からの連絡

2015/06/22

後輩から送別会の日程の打診が来ました。

26日の金曜日になりました。

本当に、良い後輩に恵まれたと思います。

みんな、ありがとう。




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最終出社日

2015/06/19

最終出社日。

人事の方のところに行って
年金手帳などを返してもらいました。

その他、会社貸与物の返還などを指示頂きました。

同じ課の同僚たちは、
課長から、僕が席にいない事を他部署の人に聞かれても答えないように
との指示をされていたようです。

僕は個別にメールの BCC で
今まで関わってきた方々にお別れのメールを送り、
昼休憩に近くデパートに行って買ってきたお菓子を
課内で配り、
挨拶して回りました。


メールを送信してしばらくすると、
数名の方々が駆けつけて来てくれました。

みんな、口々に「突然でびっくりした」と言ってくれました。

思った以上の方々が来てくれたことに、
僕はびっくりしたし、本当にうれしかったです。

自分なりに、仕事は一生懸命やってきたつもりだし、
周りの方々に支えられて仕事をしていると
本当に、心の底から思っていたし、
それを皆さんに伝えながら仕事をしてきたつもりだったからかもしれません。

数名の方が、
「僕との仕事はやり易かった」
とか、
「色々助けていただいていのに」

などとのお言葉を頂きました。

本当に感謝です。


みなさん、ありがとうございました。



この日、弁護士さんにも電話をして、
8月上旬までの在籍になったことを伝えました。

そして、妻側に健康保険証が8月上旬までしか
使えないことを伝えてほしいことを
弁護士さんに依頼しました。




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再び、人事面談

2015/06/18

前回の人事面談から数日後
再び、
人事の方と面談がセットされていました。

前回と同じ会議室に行くと、
退職に関する同意書が用意されており、
目を通してサインしてくださいとのことでした。

残っていた有給休暇の日から計算されており、
明日が最終出社日でよいとのことでした。

そして、在籍は8月初旬まで伸びていました。


僕は言われたとおり目を通し、サインしました。

この時、正式に退職が決まりました。






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人事面談に呼ばれる

2015/06/15

朝、出社したら
事業部長から人事面談のメールが来ていた。

僕はついに来たな、と思った。

12時ちょうど、
僕は指定の会議室に入ると
事業部長と人事部長が待っていた。

録音していいかと聞かれたので、了承した。

今回のPC紛失は始めての事ではないため
懲罰委員会での決定として、
現在担当している仕事から外れることと同時に、
減給処分になるということの話をされた。

そして、それが嫌なら、退社という道も考えてもらいたい
という話をされた。

とても丁寧に、告げてくださった。



僕は退社する方を選択しました。



そして、会社都合での退社となりました。

僕は、7月までの在籍になりました。

今までありがとうございました。





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再びカウンセリング

2015/06/10

会社を16時で退社し、
カウンセリングに行ってきた。

PC紛失のこと、
離婚のこと、
退職することになるかもしれない事

で結構悩んでいたので
自分で行った方がいいと思い、
予約していました。


そこに行くと、
前と同じカウンセラーの方でした。

僕は40歳になり、
今後のキャリアをどうするか、
PC紛失によって
今の会社での立場、
会社を辞めた場合の事、
そして離婚の事や妻の調停条項違反の事
など色々話した。

カウンセラーの方は、
転職関連や仕事のキャリアなどにも精通していたようでした。

今の会社で定年まで働くことは無いと考えており、
40歳という年齢を考えても、
そろそろ今後の事も考えていかなければならない
とも思っていると話したら、
時期的にはその通りですねとおっしゃっていました。

僕としても、
次は今と同じエンジニアには行かないつもりなので、
自分としても真剣に考えなければならない時だな
と思っていました。

とりあえず、転職の為の情報集めをしてみようと思いました。

そして、次回の7月の予約も入れて、
このカウンセリングは終わりました。



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僕からの反論準備書面

2015年5月の裁判で、
僕側からは、
以下のような反論用準備書面を出しました。


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婚姻関係の破綻については、
口論が絶えず、決して円満な夫婦生活とは言えなかったことは記載のとおりである。

僕が投資用マンションの話をしたのは、
妻の主張のとおり、平成24年7月初旬であるが、
その前の平成24年5月時点には既に、妻は僕からのメールを着信拒否し、
同日頃には、寝室が別になり、僕が自室に引きこもった生活になるなど、
平成24年5月より家庭内別居となっている。

「サイドビジネス」が「ネズミ講」という趣旨であるかの記載があるがこの点は否認する。
ビジネスをはじめるにあたり、入会金としては四千円程度必要であるにすぎず、
会員になると必ず営業をしなくてはいけないものでもない。
また、セミナーへの参加も自由であって、営業や商品購入のノルマは、一切ないなどのことから、
「ネズミ講」ではない。

妻は実印を隠すなどして、僕がマンションを購入できないようにしたことから、
妻の許可を得ずに、マンションを購入せざるをえなかったことは認める。

僕が妻に対して離婚の話を始めたのは、
マンションの投資話が出る前である。

ローンの重荷から不動産業者に自宅査定を依頼したことは認める。

別居後、妻から僕に同居を求めたことは一度も無い。

帰省に関しては、
平成25年8月初頭から平成25年8月末までの帰省に関して、
妻は、その2日前になり突如「明後日帰省する」とのみ伝え、
福岡に3週間以上も帰省している。

奨学金に関しては、平成20年11月、妻から、妻が管理していた通帳からの
元日本育英会の奨学金の引き落としが迷惑であると言われ、
返済用の引き落とし銀行通帳を、僕が管理している通帳からの引き落としに変更した事実がある。

性交渉があったという点に対しては否認。
性交渉は、長男誕生後は数える(1~2回)ほどしかない。

長女からは
「(帰省から帰ってきた時)今どこにいるの」
「今どこにいる」
「(携帯電話に着信があった後)いまのまちがい プレゼント何がはいってるの? でもこの事はママにはないしょだよ」
「届いているけどママがまだだめって ママにはないしょだよ」
などのメールが送られ、
平成26年5月の小学校の運動会において長男は、僕を見つけて声をかけ、クラスメイトらに
「僕のパパだよ」
などと紹介し、
平成27年4月には、
「パパに会いたかったか?」
の質問に
「うん」
と回答するなどしており、
子供達が僕に会いたがっていないというのは事実に反する。

調停条項には
「相手方は、申立人に対し、写真などを送付するなどし、未成年者らの状況を定期的に申立人に誠実に報告する。」との条項があるが、一切、守られていない。

子供たちへのプレゼントの受け渡しについては、
面会交流の方法が決まった後にして欲しいなどという説明はなかった。

平成27年3月の下の子の誕生日に届けたプレゼントについて
平成27年4月に下の子に僕が尋ねたところ、渡されていないばかりか、
更に平成26年7月及び8月に送ったの手紙も未だに受け取っていないとのことであった。

僕が小学校を混乱させたということは少なくとも小学校関係者からは聞いていない。
なお、平成26年6月、小学校の教頭先生から僕に電話があり
「奥様の方からは、旦那様から電話があっても何も教えないで欲しい、子供たちが怪我などをしても同様に連絡しないでくれと言われた」
と伝えられており、僕はメモをしながら聞いていた。


平成24年5月から、自宅室に引き籠るようになり、食事も別々に取るようになるなど、交流が断絶し、
家庭内別居の状態となった。
平成25年4月には夫婦関係調整調停(離婚)を申立て、
同年8月には、僕が自宅を出る形で、別居に至った。
更に遡ると平成22年11月に僕から送ったメールには、
「妻との今後の人生をともにしたくない」
といった明確な離婚の意思をしめしている。

夫婦関係調整調停は、事実上の調停不成立となり、
面会交流についても、僕が譲歩して、
「申立人は、未成年者らに対し、定期的に手紙を送付することができる。相手方は、その手紙を未成年者らに渡す」
「相手方は、申立人に対し、写真等を送付するなどし、未成年者らの状況を定期的に申立人に誠実に報告する。」
「当事者双方は、未成年者らの心身状況に十分配慮した上で直接的面会交流の実施に向けて努力し、その実施方法については別途誠実に協議する」
との条項が設けられたにもかかわらず、
送付した手紙を子供達に渡した形跡は一切ないばかりか、
妻から子供達の写真が送付されてきたことは今まで一切ない。
さらに、妻は、学校行事における面会交流にしか協力せず、
これまで、例えば毎月1回食事を取るなどの妻の立会のない面会を求めても、
これに一切応じていないばかりか、
これまで面会交流について、誠実に協議がなされたことはただの一度も切ない。

僕も当然、子供達の親権者であるにもかかわらず、
小学校に
「僕から電話があっても何も教えないで欲しい、子供たちが怪我などをしても同様に連絡しないでくれ」
などと、子供達が事件事故に巻き込まれた場合ですら連絡をしないように釘を刺すなど、
僕と子供達との関係を完全に断絶しようとしている。

自宅は、僕が自宅に置いてきた所有物の確認等のために自由に出入りできる場所であるところ、
妻は僕が帰宅・出入りできないように、自宅の鍵を交換して、
僕を締め出している
他にも、平成26年10月、僕の勤務会社から被扶養者調書の提出依頼があり、
妻に、月の収入額・収入の種類・平成26年度課税証明書原本などの必要書類の提出を依頼し、
締め切りが11月5日であることを伝えたものの、
締め切りの後の10日になり、収入に関する情報が欠けた極めて不十分なものを会社に直接送付し、
僕から妻に確認の連絡を入れても、全く返信が無いといった細かい事実を上げればきりがない。

このように別居期間は既に3年を経過しようとしているばかりか、
これまでの上記の経緯からして、今後、夫婦間の信頼関係が回復し、
同居に至る可能性は皆無であって、夫婦関係は完全に破綻している(民法770条1項5号)。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その後ろに、2007年ごろからのやり取りの概略の時系列を作成した。




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妻側からの準備書面

2015年4月の裁判で、
妻側から、以下のような準備書面が出されました。


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こちらからの「婚姻関係は破綻している」との主張には
「破綻していない」とのこと。

こちらからの「面会交流に努力していない」との主張には、
「子供の学校行事に出席する方法での面会交流を実施している」とのこと。

妻側の主張としては、
僕と妻は、婚姻後、円満な婚姻生活を営んでいる。
妻が家計の状況に危機感を持たず、僕の言い分に耳を貸さないと主張するようであるが事実と異なる。
僕が投資用マンションを購入するために自宅を売却することを妻から反対されたため、婚姻関係が破綻し、その原因は妻にあるといった主張を繰り返して、僕が妻に対して離婚を要求し続けているにすぎない。

平成20年、僕が転職し、別会社に入社し勤務を始めた。
平成22年頃、僕が知人から勧められサイドビジネスを始めた。
僕が投資用マンションを購入したいと言い始めたため、
サイドビジネスを始めたこともあるため心配になり、
平成24年9月頃、原告を誘って、ライフプランナーに投資用マンションの購入す
ることについて相談をした。
その際、ライフプランナーは自宅の住宅ローンや家計の状況から判断して投資用マンションを購入することはやめるべきと回答した。
ところが、その後、妻に黙って投資用マンションを購入していたことが判明した。

そればかりか、
平成24年12月頃、僕が妻に対し、もう一軒、投資用マンションを購入したい、自宅の住宅ローンがあると投資用マンションのローンが組めない、
二軒でも三軒でも投資用マンションが欲しい、
自宅の住宅ローンがあると足かせになる、自宅を売去したい、
自分たちは賃貸物件にでも住めぱいいなどと言い始めた。

妻が自宅の売却や投資用マンションを購入することに反対したところ、
僕が、価値観が合わない、離婚したいなどと言い始めるようになった。

僕が妻に了解を得ることなく自宅を売却するために不動産業者と自宅売却に関して相談をしていたようである。

その後、妻とその両親は、僕に対して自宅を売却することは考え直すようにと働きかけていたが、僕が平成25年2月頃から自室にこもり、
妻が部屋にいない時間を見計らって、妻が作った食事を一人で食べるなどするようになった。
そのような状況のなかで、僕が平成25年4月に夫婦関係調整の前停を申し立てた。
この調停の中で離婚を求めていたが、妻が離婚に反対し、
平成25年8月に僕が別居を開始してからは、妻は僕との同居を求め続けていた。

妻は僕に断りなく、子供達を実家の福岡につれて帰省したことはないし、
原告に対し原告の奨学金の返済が迷惑であるといったこともない。
また、平成20年3月に長男が生まれた後も性交渉は存在していた。

平成25年5月、長女の運動会の当日の朝になって突然、
「運動会に行きたいんだけどどうやったらはいれるの?」などと言われたことがあったが、この事実をもって妻が子供の行事に、僕を参加させなかったなどと論難しているようである。

平成25年8月、妻が子供達を連れて福岡の実家に帰省している間に
メールで連絡をした後、自宅を出て別居を始めるようになった。
別居後、子供たちとの面会交流を求めるようになった。
しかし、子供達は僕が投資用マンションを購入するために自宅を売却したいと言い始めたことや、妻がこれに反対し、僕が離婚をするなどといい始めたこと、僕が自宅を出て行ったことを理解していることもあり、
子供達は僕と会いたがらなかった。
そのため、妻は調停において面会交流の実施に際しては子供の意思を尊重し
慎重に勧めて欲しいとの主張をしていた。
その結果、調停では直接の画会交流について具体的な実施方法を定めるには至らず、聞接的面会交流及び子供達の学校行事を通じた面会交流を実施することが調停条項に定められた。

なお、調停期間中も子供達の学校行事を通じた面会交流は実施されており、
平成26年5月の小学校での運動会には僕も出席している。

調停成立後、妻は父兄の参加ができる子供達の学校行事には
僕に連絡をしており、
平成26年9月、同年11月に実施した学校行事や
平成27年3月に実施された長女の卒業式は出席していないが、
平成27年4月に実施された長女の入学式には出席している。

平成25年9月頃、僕が事前の連絡もなく長女の誕生日のプレゼントとして
物品を送付してくることがあったが、
調停において面会交流について協議をしている最中であったこともあり、
子供への物品の送付は面会交流の方法が決まった後にして欲しいと
説明して物品を返したことはある。
なお、その後、被告は当該物品を受け取っている。

平成26年6月、子供達の通学する小学校に、突如、電話をかけることがあり
小学校において混乱が生じ、また小学校が対応に苦慮したため、
代理人を通じて僕に事実確認をするとともに、今後は小学校へ
電話することを控えて欲しいと連絡した。

調停後、妻たちの外出中に僕が自宅に立ち入り、
子供に宛てた手紙を置いていったと伺われる事態がなどが生じたため、
妻は警察へ行き事情を説明したところ、
警察から鍵を変換した方が安全であると説明された。
そのため、妻は自宅の鍵を交換した。

以上のとおり、
子供達との面会交流の実施については十分に努力し協力をしている。


投資用マンションを廉入するために自宅を売却することを反対されたため、
僕が婚姻関係が破綻し、その原因は妻にあると主張し、
僕が妻に対して離婚を要求し続けているにすぎない。

僕と妻との問の信頼関係は十分に修復可能であり、
婚姻関係は破綻しておらず離婚原因は存在しない。
僕の請求には理由がないことは明白であるから、僕からの請求は直ちに却下
されるべきである。


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これらに対して、僕からの反論では、
概ね否定することになる。
(次回、僕からの反論を書きます。)



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陳述書作成

2015/06/06

郵便受けに
弁護士さんから
先日の裁判の書類などが届いていました。

先方は相変わらず
離婚しない、の一点張りでした。

数日前から
弁護士さんから陳述書を書くようにとの
依頼を頂いていましたので、
数日前から取り掛かっていました。


この日、
およそ10頁の陳述書を書き、
弁護士さんにメールで送りました。






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夢で激怒してた

2015/05/31

朝、夢を見た。

その夢の中で妻が出てきて、
先日のPC紛失は
妻がバックを持って行ったのだと言った。


それを聞いた僕は激怒していた。
怒鳴っていた。

「お前のせいで、会社もやめることになったんだぞ!、どうしてくれるんだ?
何考えてんだ?!、自分が何やったか判ってんのか?!」


その後、その場所(多分、家)が
洪水か津波で流されていって
どこかの山の上までいき、

そこからシェルターのようなところに入っていく夢だった。






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